桜井章一


(以下本文)


  • 人間は、広がることを「良」とする感覚がとても強い。だから無条件に、広がることは善であり、力であり、能力であると思い込んでしまう。精神の「広がり癖」とでもいおうか。コマーシャルにしろ、ものが流行るにしろ、あたかも「広がっていれば勝ち」という風潮がある。その一方で、「広がることが本当によいことなのか」と疑問に感じる人はあまりに少ない。「広がる」ということには、ネットワークやお金、物流の広がりなど、量として目に見えるもののほかにも、心の中の広がりなど、目に見えないものも存在する。そしてそらには、よいもの、悪いものが混在している。悪いものはそこで閉じ込めて広がりを抑え、よいものは急激にではなく、少しずつ広げていく。そういう感覚が必要なのだが、人は無条件に広がることを求めてしまうから、結局のところ、犯罪なども簡単に広がっていってしまう。
  • 絶え間なく変化していく物事に対応できる柔軟な観察力を磨いていってほしいということだ。柔らかい思考で観察力を磨いていけば、その先にはきっと新しい発見があるだろう。
  • 性格ではなく癖を直す。
  • 目力を持つにしても、一点集中型の目力より、全体を俯瞰する目力のほうがいい。
  • 私の場合は、全体を被写体として俯瞰として捉え、その中のどこに違和感があるのかを感じるようにしている。
  • 人前に出て緊張する、あがってしまうというのも、すべてはその酸欠状態から始まっている。「頭の中が真っ白になる」という言い方もあるが、これも結局、緊張状態となり、脳に酸素が三分の一ぐらいしかいっていないから起こる状態だ。だから、真っ白になって、さっきまで覚えていた言葉がつながらなかったり、出てこないいったことが生じるのだ。
  • 無口な人と話す場合、私は、しばらく言葉が出るまで待つようにしている。無理にこじあけるようなことはけっしてない。「この子は、どういうときに言葉を発するんだろう」とみていく。同じ無口な子でも、それぞれにしゃべりやすい瞬間、しゃべりやすい雰囲気というものがあるのだ。私は、それがなんなのかをじっと観察する。


  • 安心を得るための「勝ちたい」という気持ちの根っこには、人間のだれもが抱えている不安があるのだ。そして、何人たりともその不安から逃れることはできない。しかし、勝ちたいという欲求に囚われてしまった人は、そんな不安を認識することもなく、ただただ勝利することだけを求めていく。そしてその戦い方は醜く、卑しい。
  • だとするならば、「負けない」人生を歩んでいくためには「生命を保つために本当に必要なものはなんなのか」を考えることも大切な要素となってくる。
  • 「勝ちたい」という気持ちは、欲望と同じで限度がない。限度がないからそれを達成するために汚いこと、ずるいことなども平気でするようになってしまう。際限なく相手を叩きのめすようなやり方も、「勝ちたい」という気持ちに支配された人間のやり方だ。
  • もう一方の「負けない」という気持ちは「勝ちたい」より人間の素の部分、本能に近いところにある。負けなければいいわけだから、相手をとことん追い込む必要もない。必然的に、そこには一定の限度というものが生じてくる。限度があるから、相手がちょっと泣いた顔をすればおしまいとか、弱ったらおしまいとか、そういう終わらせ方ができる。「負けない」という気持ちには、「もうこれでいい」という満足感、納得感がある。だが、「勝ちたい」という気持ちには限度がないから、すでに倒れている相手に対してさえもさらに徹底的に攻撃を加えたりしてしまうことになる。
  • この「勝ちたい」という欲望は、現代社会が持っている欲望にとてもよく似ている。勝ったまま死んでいく人はこの世に一人としていない。ただ、負けないように死んでいくということはできるかもしれない。
  • これは人間に限った話ではなく、政治・経済すべてひっくるめて言えることだと思う。永遠に勝ち続けることなど、誰にもできないのだ。
  • そして「勝ち」だけを欲する人は、人生においても「得る」ことばかりを求める生き方になりやすい。しかし、自然の摂理からいえば、得たものは失う定めにある。寄せる波はやがて引く。それが自然の摂理なのだ。
  • 得ることだけを追求するのは、若い、ある時期だけで十分だと思う。人生という道の先々にあるすべてのものは、失うための導きである。
  • 若い時分にはいろいろなものを得るかもしれないが、齢を重ねるにつれてそれらを失っていくのが自然界の定め。失うことを拒否するのではなく、「失う定め」だという事実を認めるだけで、落ち込んだり、失望したりすることは少なくなるはずだ。
  • 今は便利な世の中になり、人々はいろいろなものを享受しているが、そんな中で大切な何かをたくさん失っているという事実にもそろそろ気が付かねばならない。そうすれば「得る」一辺倒の生き方から、自然の摂理に則った「得て捨てる」というバランスのとれた生き方ができるようになるはずだ。
  • 私は、「格好よく勝つ」より「格好よく負ける」ことを考えたほうがいいと思っている。
  • 「格好よく負ける」には「心構え」から「体構え」まで、心身の両面がきちんと備わっていなければならない。その第一歩は「勝ちたい」という欲を捨て去り、心身から必要のない力みを消していくことだ。
  • その道場生は「格好よく負けよう」と思った途端、思考からも、動作からも、力みが抜けて行った。心構え、体構えはまだまだだが、結果としてその対局では大勝を収めた。
  • 騙しや欺きを用いて収めた勝利はとても脆い。麻雀でも、卑怯な手を使う人間がたまたま勝ったとしても、その「勝ち」がずっと続くということはない。安定感に欠け、放っておけば必ず自ら勝手に崩れていく。
  • 麻雀は本来、振り込みとあがり、つまり「与えること」と「得ること」のバランスの上に成り立っている。しかし、ダメな麻雀を打つ人は、自分が「得ること」だけ、あがりだけを求めて相手をみようとしない。これは勝ちの欲に囚われてしまっているからで、つまりは全体を観る目を持っていないのだ。
  • では、負けないための努力はどうやってすればいいのか?それを一言で表すとするならば、「必要なことだけやっていく」ということに尽きる。世の中には、その人にとって必要なものと不必要なものとがある。その中で、必要なものだけを選び取り、その場その場において的確なことをやっていれば、それはいい方向に向かっていく。
  • 必要と不必要は循環して回っている。必要なものが巡ってきたときは、そのままそれを生かしていけばいい。不必要なものがやって来たら、そのときは耐える。必要なものがまた巡ってくると思いながら耐え、そのときをじっと待っていればいいのだ。
  • 騙しや欺きを用いて収めた勝利はとても脆い。麻雀でも、卑怯な手を使う人間がたまたま勝ったとしても、その勝ちがずっと続くということはない。安定感に欠け、放っておけば必ず自ら勝手に崩れていく。
  • 麻雀は本来、振り込みとあがり、つまり「与えること」と「得ること」のバランスの上に成り立っている。
  • しかし、ダメな麻雀を打つ人は、自分が得ることだけ、あがりだけを求めて相手を観ようとしない。これは「勝ち」の欲に囚われてしまっているからで、つまりは全体を見る目を持っていないのだ。それゆえ、判断、行動のバランスが偏り、ついには自ら崩れてしまうことになる。
  • では、負けないための努力はどうやってすればいいのか。それを一言で表すとするならば、必要なことだけやっていく、ということに尽きる。世の中には、その人にとって必要なものと不必要なものがある。その中で、必要なものだけを選び取り、その場その場において的確なことをやっていれば、それはいい方向に向かっていく。
  • 必要と不必要は循環して回っている。必要なものが巡ってきたときは、そのままそれを生かしていけばいい。不必要なものがやって来たら、そのときは耐える。必要なものが巡ってくると思いながら耐え、そのときをじっと待っていればいいのだ。
  • 今の社会で生きる人すべてにいえるのは、褒められることを求めている一方で、とめどなく人の悪口を言って生きているということだ。
  • 褒められたい人間は、褒められなくなると文句ばかりつけるようになる。それで世の中はクレーマーだらけになっていく。だったら、褒めること、褒められることなど求めず、人の悪口を言わないようにしていけばいい。
  • いい間合いを取れば優位になる(人には丁寧に接するが、近くに行けというわけでは決してない。それぞれの人に対して適切な間合いを取る。自分のことを丁寧に扱わない人には、こちらが丁寧に接するために適切な間合いを取る)。
  • 守るのではなく、受ける。
  • 勝ちを譲る余裕こそ、強い。


精神力 強くなる迷い方 (青春新書INTELLIGENCE)

精神力 強くなる迷い方 (青春新書INTELLIGENCE)

  • 内容がなくて勝つより、内容があって負けるほうがずっと価値がある。
  • 勝つことを求めず、強さを育む。
  • 親と子の関係はね、温、破、立、これが原理だよ。子供が小さいころは、親は自らの温もりで必死に子供を温める、それが愛情の豊かさだ。そして、うんと温まった子はやがて自らの力で、親が作った殻を打ち破って外に出る。そして親から離れ、子はわが道を歩き出す。つまり自立ってことだ。
  • 10回に7回は負けるんだよ。ただし、勝ち負けは回数でないだろう。7回の負けを極力小さくして、3回の勝ちを大きくすれば、どうにかしのげるわけだ。これしかないんだ、ギャンブルをしのぐ方法というのは。怪我しないでやっていく方法は、負けを小さく、勝ちを大きくするしかない。これが鉄則。
  • 男の仕事ってのは、2人前、3人前やってナンボだと私は思っている。そして、自分が働いて稼いだ金を一人前さえ働くことのできない方々のために分けてさしあげる。それが真の男の仕事だと信じているよ。


見えない道の歩き方

見えない道の歩き方

  • もう一人の自分を頭上におく。
  • 親が子供を育てると間違いが始まる。
    • 本当に親が子供を育てようと思ったら、育てようと意識するのではなく、大人が自分自身を正しく磨いて、粋な大人の見本になることです。こういう時はどう決断して、どう立ち振る舞うのか。親が背中で教えていくことこそが、教育なのです。
  • 能力の差を見比べても意味がない。
  • 始まりがあって終わりがあるのではなく、終わりがあって始まりがある。


人生を変える美しい勝ち方

人生を変える美しい勝ち方

  • 一時期ちょっと勝ち続けて有名になっただけであっけなく引退してタレントになってしまう選手もたくさんいますが、そんな選手は本当にきびしい勝負には強くないのだと思います。勝負に勝って見返してやるとか、大金をつかんで女にもてたいとか、そんな枠に収まってしまうほど、勝負の本質はチンケなものではありません。勝負はお金という枠に収めてみるものでもなければ、見栄という枠に収めてみるものでもありません。いかなる枠にも収まらない無限の変化と広さを持っているものが、本物の勝負なのです。
  • 偽物の勝ちは脆いものです。麻雀を観ているとよくわかります。汚い麻雀を打つ人は勝っても、それがずっと続くということはありません。大きく勝ったと思うとドカッと負けたりして安定に欠けるのです。
  • 連続するものが強い。
  • 強い人は、瞬間にして相手の間合いを取る。
  • 人は、何かを選択し、同時に何かを捨てる生き物です。良いものを選ぶか捨てるか、悪いものを選ぶか捨てるか、ずるいものを選ぶか捨てるか、美しモノを選ぶか捨てるか。何かを選び、何を捨てるかでその人生は決まってきます。
  • 勝ちを譲る人は強い。
    • 人に勝ちをどうぞと勝ちを譲る人になりたい。勝ちに至る過程、負けに至る過程にこそ、人としての大事なことが盛り込まれるはずなのに、その肝心な部分が片端から見事にはしょられてしまっているからです。
  • 自覚でなく他覚を持て。
  • 良い負けを作る。
  • 勝負を真剣に遊ぶ。
  • 焦りから一発逆転を狙わない。
    • 負けが込んだときは、大きな勝ちを狙わないで、とりあえず小さな勝ちを一つでも取ることです。ともかく小さな勝ちでも取って少しでも自信をつけることがまず大事です。
  • ルールの裏をかく技は、弱さから生まれる。
  • 勝ちだけを求める勝負は二流。
  • 人は自然をお手本にして、与えること、分けること、循環させることの意味を学べばいいと思います。
  • 円に広げる集中。つまり集中とは「拡散」なのです。拡散していけば、一つのことにとらわれずに、一度にいろいろなことができます。
  • 徹底して敗者を任すのは弱さの証。