「イビチャ・オシムの真実」
- 作者: ゲラルト・エンツィガー,トム・ホーファー,平陽子
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2006/11/24
- メディア: 単行本
- クリック: 21回
- この商品を含むブログ (33件) を見る
僕はスポーツ選手のノンフィクションを読むのが好きだ。一流の選手はそのメンタルも素晴らしいからであり、学ぶところが多いからだ。その中でもオシムのノンフィクションはずば抜けて素晴らしく、学ぶところが多い。
これを見ていると私の人生のテーマ(現在は出来ていないが、これから高いレベルで可能にしたいこと)が明らかになってくる。
1.どんな難しい状況でも、コンセプトでも、シンプルに理解し、シンプルに表現する。
2.成功が大切なのではなく、失敗を乗り越えることが大切。その気概を持ちリスクに果敢に挑戦する。
3.自由を与えて自分に関係する人全てを育てる。
4.常に謙虚であること
5.人とお金に流されないこと、むしろ逆行することすら可能にするほどの確固たる自分の信念を持つこと。
-
- -
(以下内容)
オシムは選手に多くの自由裁量を与えるタイプの監督だ。オシムは、選手を自主独立した人間に育成しようとする。彼には独自の哲学があり、それをとことん貫く。クラブ会長が時にうるさく言おうとも彼は我が道を行く。そして、それに導かれる成功が、彼が正しかったことを証明するのだ。
ユーゴスラビアのサッカー史において、多くの人にとってのベストプレーヤーはデヤン・サビチェビッチだろう。(中略)しかし、彼とオシムの関係は必ずしも良好ではなかった。オシムは最初の頃は、才能豊かなサビチェビッチをベンチに座らせているだけだったので、サビチェビッチは心底、激怒していた。オシムに対して悪意のある言葉も聞かれた。オシムが1992年に辞任してからは、彼らは別々の道を歩むことになる。サビチェビッチはその後、まさにスーパースターとなり、1994年にはACミランでチャンピオンズカップ優勝を勝ち取った。ACミランはアテネでの決勝戦でFCバルセロナに4-0で勝利した。試合終了のホイッスルが鳴った後、サビチェビッチが最初に向かったのは、観客席にいたオシムの息子セルミルのところだった。サビチェビッチはユニフォームを脱ぎ、当時20歳のセルミルに「お前にプレゼントだ」と渡した。サッカー選手としての最高の瞬間に、サビチェビッチはセルミルに「お前の親父無しには、俺は今ここに立っていない。お前の親父は誰よりも俺に多くのことを教えてくれた。でも、そのことは今になってやっとわかったんだけどな」と言ったのだ。
オシムは0-0で引き分けるなら、4-5で負けるほうがずっとましだという考え方を持っている。彼が創造しようとしているのは、全ての選手が何でもこなせるチームである。
自分にスポットライトが当たることを好まない哲学者オシムのお気に入りの諺は
「明るすぎる光は知性を遮る」だ。
最初からメディアの関心とプレッシャーが高かったり、クラブ会長がまったく実現不可能な目標設定をするような欧州ビッグクラブには行く気はなかった。何か新しいことをするというリスクに私は惹かれるのだ。
生活できる地域に人が集中するのは自然なことだ。戦争を生き延びた人もいるし、人生がサバイバルゲームという人の方が多いのだ。豊かな暮らしが出来る人間は少数派で、それ以外の人々は多少の差はあれ、戦わないといけない。
人生は日々戦いであり、
悪あがきの連続である。
人が満足するのは短い間だけで、その他は全て心痛であり、それは家族のことであったり、自分自身のことであったりする。傾向として、豊かな人はますます豊かに、貧しい人はより貧しくなっている。