イビチャ・オシム「日本人よ!」

日本人よ!

日本人よ!



ジーコ時代に日本代表のサッカーの何が面白いのか分からなくなって、結局見たのはワールドカップの3戦だけ。ジーコのチームは、ブランドのある人間をかき集めて予選を勝ち抜いただけのチームだった。個人的に、人を育てない監督、競争がなく人が育たないチームには何の魅力も感じもない。トルシエの方が中田、小野、稲本、高原らのスターを育てた意味で功績はあったと思う。



オシムは思慮深く、人生に深みをもっており、加えて人間に対する深い愛情を持っている監督だった。時に彼はサッカーと人生を重ねて、人を育てた。彼の攻撃的なサッカーは華麗で魅力的だった。日本代表が少しずつ輝き始めていたように僕は感じていた。そして、日本代表だけでなく、Jリーグ、日本サッカー全体を盛り上げようとする大きな視点に感銘を受けたのだ。



オシムになって、日本代表に久しぶりにのめり込んだけど、オシムが倒れ、日本代表の将来の大きな成長と方向性を失ったと個人的に感じている。



オシムのサッカーを見たくて、ついにテレビカードをパソコンに差し込んだけど、しばらく日本代表のサッカーは見たくない。岡田さんは嫌いじゃないけど、一度オシムのサッカーを知った今はディフェンシブな日本代表は面白く感じないだろうし、何よりも、オシムがいたこの短いけど、熱過ぎた2年間と比べてしまうのが辛いです。



追伸


ドラッカー河合隼雄と僕のアイドル(じじいばっかりだな)が亡くなって、今度はオシムかとヒヤッとしました。オシムが回復して、いつかピッチに戻れること、もし無理でも元気に生活出来る様、回復することを心から祈ってます。

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(以下本文)



今の日本人が勤勉であるかどうかは疑問だ。現在、日本人は非常に高い生活水準を保っているが、それは勤勉だった先代が作ってきた生活水準を今の人々が享受しているだけなのではないか。



他人がどんなことをやっているのか見るのはよいことだ。それを知り、利用することも悪くはないだろう。けれども、それは自分たち日本人に相応しいものだけで良い。すべてのことを模倣しようなどと考えては、絶対にいけない。それは、愚かなことであると同時に、不可能なことだからだ。要するに、何よりもまず他人よりも優れているものを伸ばしていく、というのが私の考えの根本である。



本当に自分たちを信じきるためには、より優れた相手や強い相手に勝っていく必要がある。(中略)はじめに諦めてしまったならば、つまり、他人の方がいつも優れていると考えてしまったならば、そこで進歩はなくなる。多く長く信じてきた分だけ、人は戦うことができる。だから、もっとよく出来る、到達できると信じなければならない。



私の言うリスペクトとは、すべてを客観的に見通すと言う意味である。
またリスペクトとは、すべての相手をノーマルだと評価することでもある。なぜなら、どの相手も自らの長所と短所を持っているからだ。ただ、ある相手には長所以上に短所があったり、またある相手の長所は自分たちの長所と似ているかもしれない。しかし、どんな場合においても、相手の長所や短所は客観的に見なければならないのだ。



どんなチームも、相手がより強ければ強いほど、より多くのことを分析しようとすることだろう。「私たちはまず自分たちのプレーをします」などと口にすることなく、相手がどんなプレーをするかを分析するために、観察するはずだ。しかし、劣ると思われる相手と対戦する際には、選手は往々にしてこのように言ってしまう。「私たちは自分たちのプレーをするつもりだ。相手がどうであろうかなんて私たちが気にすることじゃない」。これは既に相手を過小評価しているということである。そう思ったとしても口にすることは許されない。つまり、相手に対して義務として持つ敬意だって必要なのだ。もしクレバーなチームでありたいならば、相手は何ができるかをすべて知っておかなければならない。それが何であれ、いつどこでであれ、どうやって自分たちを危険に陥れてくるかを知らねばならない。私たちは自分に対して誠実になる必要があるし、相手に対しても誠実になることが要求されるのだ。



私は誰かの模倣をしないし、模倣をしたいとも思わない。私はこれまでの人生においてその信念を貫いてきた。



人生とは常に何か新しいものを発見するためにある。



問題は、走るかどうかではなく、いつ走るのか、なぜ走るのか、どうやって走るのか、どこへ走るのかである。(中略)サッカーは今、一つの方向に向かっている。対戦する相手はそのような走らない選手に付け込んで来る。なぜならば、彼が走らないがために、相手は常に数的優位を作れるからだ。そうなると、相手が人数で上回ってしまうために、監督は頭が痛くなるのだ。常に相手は一人多く選手を持つことになる。逆説的だが、中心選手もしくは最高の選手が、実際にはもっとも弱い選手となりうる。スタープレーヤーがウィークポイントなのだ。サッカーはすべてが走力とつながっている。走力はもっとも基本的なものだ。走らない者はプレーする資格がないのだ。