松井秀喜・松井昌雄「父から学んだこと、息子に教えられたこと」実業之日本社、2007年

松井選手が仰る「人間万事、塞翁が馬」を見ると、河合隼雄さんが生前おっしゃっておられた



「二つ良いこと、さて、ないものよ」
(絶対的に良いと思えることであっても、それは次に起こる悪いことの発端となっている。逆もまた然り)



という言葉を思い起こします。



人生は良いときも、悪いときもあって。そして。



良いときには奢らずに淡々と生きて、
悪いときには不平不満を言わずにやっぱり淡々と努力を続けることが大切であるんだろう、



ということを感じさせられます。
まあ、それがなかなか難しいんだよなあー。



油断したら死ぬと思え。





【人間万事、塞翁が馬】



悪いことも良いことも決して長くは続かない、だから、すごい記録を打ち立てたからといって、決して油断してはいけないし、また突然打てなくなったからとか、怪我や病気で悲運に見舞われたとしても、決してこの世の終わりのように落ち込んではいけない。悪いことのあとには必ず良いことが再びやってくる、といった中国のことわざである。
「塞翁とは老人の意味で、昔、北辺の砦のほとりに住む、運命判断をする老人の馬が砦の外に逃げてしまった。隣人が気の毒に思って慰めると、その老人は「そのうちにきっと福になる」と答えた。数ヶ月すると、逃げたその馬が老人の言うとおり良馬を連れて帰ってきた。隣人が良かったねとお祝いを言うと、今度は「いずれ災いになるかもしれない」と言った。果たせるかな、老人の子供が喜んで良馬にのっていると落馬してしまい、足が不自由になった。再び隣人が慰めると「これは福になる知らせだ」と言った。それが幸いして、戦争の徴発を免れることができた」



【努力できることが才能である】



おごり高ぶりのようなものが人間の成長を止めてしまう。感謝する心は、過ちを過ちとして認めることが出来、人の心に厚みを与えることだ。待つことを知るものは勝つ。



僕もまた、今日までそのように生きてきた。決して楽しいことや順調なことだけではなく、思いもかけない怪我や故障に見舞われたり、絶対負けてはいけない試合を落としてしまったりした。しかし、人は、乗り越えなければならない課題があってこそ、それが生きがいとなったり、日々がより楽しくなったりする。また真に進化し、成長することが出来る。だから、僕はもし自分の前にイージーな道とチャレンジしがいのある二つの道があれば、たとえ困難な道であってもチャレンジしがいのある道を選ぶ。



【子育て】



父は所詮無理なのに、お前には無理だよと絶対に言わず、僕の遊びに付き合ってくれたのだ。
父は僕を一貫して、普通の人になるように育ててくれたような気がする。折に触れて、自分を磨くこと、人格形成をすることを忘れてはいけない、と言っていた。父は僕が小さいころから、勉強をしなさいとか、何かを強要することは一度もなく、どうしたいかを必ず僕に聞いてくれた。だから僕はいつのまにか、何かをする前によく考える習慣がついていた。
どんな場合も、父は決して父の考えや意見を押し付けることはしなかった。すぐに理解できないことがあっても、成長するにしたがって、だんだんその意味が分かっていくものである。毎日見る、毎日すぐそばで接するということは不思議なもので、いつしか体にしみこんでしまっているような気がする。



【次へのステップ】



時折、一つの結果について、ほめられることがある。しかし、僕の中には自慢する気持ちはない。僕はいつも、次へのステップ、チャレンジに目が向いている。困難な壁を克服することこそ楽しみであり、快感であった。