失敗学事件簿



人生において大切なのは成功ではない。失敗や困難な状況を乗り越えること、もしくは乗り越えようと努力することが最も大切である。成功はその結果として付属するものに過ぎない。



しかし、多くの人は成功を羨み、失敗を嫌う。さらに言えば、他人の失敗を笑う。



大抵の人間は失敗が起きたら、それを隠そうとする。しかし、在るべき姿はその失敗から必死に学ぼうとすることである。


    • -

(以下内容)



失敗という授業料を払ったのだから、学べる限りを学び取ることが大事だ。だれがいけない、あのやり方がおかしいというより、今の我々の実力はこの程度だと素直に認め、皆が気づかずにいる雰囲気に気づいてそれを打ち破り、新しい段階に進もうではないか。



やってしまった失敗ならしゃぶりつくそう、と考え、実行したとき、失敗から貴重な知識を掘り出すことが出来る。



なぜ失敗したのかをまっすぐに見ようとしないことが、この(国の)長い停滞の原因ではないかと私は考えています。失敗を直視し、知識を得て学び、努力することが必要なのです。失敗に背を向けていては進歩はありません。失敗を繰り返すだけです。



失敗談を学生に話すと、頭に入りやすく真の理解に繋がることが分かりました。もちろん「うまく行く方法」も教えていましたが、それだけでは表面的な理解にとどまることが多かったのです。



ただ失敗には「許される失敗」「許されない失敗」があります。「良い失敗」と「悪い失敗」と言ってもいいでしょう。不注意や慢心、誤判断で繰り返される失敗は「悪い失敗」です。



ハインリッヒの法則(1・29・300)から類推した失敗顕在化の確立



労働災害
1.1件の重大災害の陰には
2.29件のかすり傷程度の軽災害があり、その陰には
3.300件のけがはないがヒヤッとした体験がある。


「設計失敗」
1.1件の新聞種になるような設計失敗の陰には
2.29件の軽度のクレーム程度の失敗があり、その陰には
3.300件のクレームではないがヤバイと思った体験がある。



人間は必ずミスをする、が失敗学の前提である。



この世の中に「絶対に安全」なものなど決して無い。



結局、どんなに優秀な警告システムが作られていたとしても、いつも警告がなっているような状態が続けば、人はそれに慣れてしまい、警告システムの意味はまるでなくなってしまうのだ。



失敗情報は「変わりたがる」「隠れたがる」「上に行かない」



失敗したことを自慢する人はいないだろう。失敗をつい隠すことは人間の心理として理解できないわけではないが、嘘をついてまで隠すとなると問題である。いったん「失敗は隠せる」という罠にはまると、小さな失敗の中に兆候を見せる大きな失敗が起こる芽を見過ごすことになる。大切なのは当事者を批判しないこと。



多くの失敗は、個人のミスにかかわるヒューマンエラーで起きる。従来は個人に責任を負わせる処置をしてきた。重要なことは、たとえば踏切事故ならば発生原因を統計分析し、立体交差にするなど失敗に投資する策をとった。



多人数の集まるところでは前方で何かがあっても後方には伝わらず、停止した人のところに異常な圧力が働く現象が起こりえること。


    • -

まとめ


  • うまくいく方法を教えるより、まずくなる道筋を教える方が効果が大きい
  • 失敗をしなければ受け入れの素地としての体感、実感は得られない
  • 失敗は許される失敗と許されない失敗がある。許される失敗は成長と進歩に必要なもの。許されない失敗は同じ愚を繰り返すもの。
  • 失敗をマイナス面からだけ見ず、プラスに転化する努力をしよう。
  • 失敗の原因は多層になっており、多くの様相で結果が現れる。だから失敗は多角的に捉えなければならない。
  • 失敗知識を活用しよう。
  • たくさんの失敗情報が眠っている。
  • 失敗の多くは情報伝達の途絶で起こる。
  • 事例についての失敗だけでは何も伝わらない。知識にして初めて伝達可能。
  • 結果だけではわからない。脈絡を知らなければわからない。わからなければ伝わらない。伝わらなければ使えない。
  • 失敗は予測できる。防げないのではなく、防がないのである。
  • 管理の強化では失敗は防げない。管理を強化すると形骸化し、面従腹背が起こる。失敗を隠すので、結局同じ失敗を繰り返すことになる。
  • 原因究明と責任究明を分離しよう。