義理と人情―僕はなぜ働くのか

みのさん曰



「義理が廃れば、この世は闇だ。



人の情けに優る、富はなし。」



義理と人情―僕はなぜ働くのか (幻冬舎新書)

義理と人情―僕はなぜ働くのか (幻冬舎新書)



「メディアで人気になるのは良い事尽くしです。人から注目される上に、富や名声まで手に入るのですから。しかし、そこには思わぬ落とし穴があります。
 それは人気に振り回されるということです。
 人気者は人気物の特権が余りに魅力的なため、その地位に執着するようになります。一度味わった富や名声の味はあまりにも甘いため、自分の意思を投げ打ってでも人気者でい続けたくなるのです。常に輝いていたいから、人からどういう風に見られるかが一番気になる。
 すると本来の自分はどこへやら。そのうち、行動の全てが人気者でい続けるためのあざとい作戦になってきます。そして、本来自分は何をやりたいのか、何をやるべきなのかがわからなくなり、次第に自分という存在を失っていくのです。」



「俺の名前は台本の最初に書いてなきゃ駄目だって言ったろ」とか「俺の控え室はこうじゃなきゃだめなんだよ」なんてスタッフに難癖つけていた連中に限って、いともあっさりと業界から退場していきました。
 彼らは「主役」のプライドがめっぽう強かった。
 皮肉にもそのおごりが、彼らに仕事を選ばせ、彼らを主役の座から下ろしてしまったのでしょう。おごれるもの久しからずといったところでしょうか。
 やっぱり仕事は選ぶものではない、選ばれるものだと、改めて思います。」



「20代の僕は、一生懸命でしたが、不純な動機で働いていたと思います。例えば、「あいつに勝ちたい」とか「見返してやりたい」といった感情です。こうした感情は、一時的に仕事をする上での励みになります。
 しかし、「励み」が必ず報われるとは限りません。むしろ戦いに敗れ、傷つくことのほうが多い。すると、たちまちやる気を失います。つまり、不純な動機ではなかなか続かないのです。
 だったら最初から人にライバル心なんて持たない方が良い。今となっては、それが良く分かります。
 先日もテレビ局に勤める息子にこういってやりました。
 「お前、優秀な同期がたくさんいるんだから、あまり競争するなよ。むしろ同期のために応援してやれよ。同期の顔を立てろよ。」と。
 「同期を応援して、どんどん出世させるんだ。仕事は向こうの方が優秀なんだから、お前は酒で勝負しろ。同期が酒を飲まされて苦しんでいたら、お前は体力はあるんだから、代わりに飲んでやれ、絶対に先に帰るなよ」」



「人のいいところしか見ない」