「迷いと決断」

迷いと決断 (新潮新書)

迷いと決断 (新潮新書)



SONY前会長・出井さんの本。



出井さんは社長・会長時代に結構本を出していて、
これからの情報産業は、SONYはこうなる、ということを社外に向けて、
積極的に発信していた。



SONYのトップは小国の王様よりも権限と責任が大きい、と言われるように、
彼の提示する論点は世界レベルの大局的なものであったし、
それらの意見がしっかりと論理的に組み立てられていたので、
小市民の私としてはすごく興味深いように思えて、よく本を買っていた。



その彼が描いた社長・会長時代の回顧録(1995-2005)。



やっぱりかなり面白かった。成功も失敗も理由をつけて、
分析しているところがすごくためになる。
(特に失敗を理論的に分析しているところが最高に学べる)



興味深い考察としては、
無料の広告で運営している民放TV局には価値がないと言っているところだ。
たしかに僕も「このままでは」やがて価値がなくなるんだろうと思う。



SONYが民放を買うという噂は立ったこともあったし、
実際にその選択を迫られたと書いてあるが、彼は上記のように断った。



パソコン・携帯・TV・ゲームの「ハード機器」と、
映画やアニメ等の「ソフト・コンテンツ」を揃えれば、
その中間にあるTV局等の放送局は必要がないと考えているらしい。



つまり。



昔はTV・新聞・雑誌が大衆に対する主要な情報の配達方法であって、
そして、TV・新聞・雑誌への情報発信は、
主にTV局・新聞社・雑誌社しか出来なかった。
けれど今の大衆は、TVはもちろん、パソコン・携帯・ゲーム機から、
情報を得ることが出来る。



また情報技術の進化により、民放じゃなくても、
例えばTVに「SONY CHANNEL」ボタンをつけて、
インターネットに直接接続するようにすれば、
メーカーだって、TV局と違わぬ情報の提供者になることは不可能ではない。
だから今の時代は、TV局や新聞社の価値が減っていると説明する。
新聞の購読量は激減し、TV局は「無料」で映像を流す点に価値があるが、
そのビジネスモデルも多様なデバイス(電子機器)により、
その価値を失いつつある。



実際にSONYの戦略はそのようになっており、
広告収入だけでなりたつ民放局を保有してはいない。



昨日の本もそうだが、もうすぐ、
新聞社とTV局とインターネットのコンテンツ会社は
同じプラットフォームで戦う時代がやってくる。



マスメディアが今のような繁栄を
続けることが出来ないことは明白であるように感じる。