子どもと悪 (今ここに生きる子ども)
- 作者: 河合隼雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1997/05/20
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
- 教育に熱心なのはいいが、何とかして「良い子」を作ろうとし、そのためには「悪の排除」をすればよいと単純に考える誤りを犯している人が多すぎる。
- 大人が悪と見なしていることを敢てするのは、大人に対する一種の宣戦布告のようなものである。「大人の言うとおりに生きているのではないぞ」という表現である。
- 教師や親が排除することによって「良い子」をつくろうと焦ると、結局は大きい悪を招きよせることになってしまう。
- こんな例をみると、難しいことを考えずに、ともかく悪が存在することを認め、それに対して人間の心がどのように働くのか、そこからどんなことが生じるのかを見るべきだ、と思われる。
- ゼウスは人間に火を与えなかった。人間は夜の闇の中で野獣を恐れながら過し、物を煮たり焼いたりすることも知らず、病気になりやすい生活をしていた。プロメテウスはこれを放置しておくことはできない、と考え、火を天界から盗み出そうとした。彼は、オオウイキョウのうつろな茎を持って、天に登り、そこから火を盗んできた。プロメテウスは、人類にとっては、火をもたらす英雄ではあるが、ゼウスから見れば極悪人ということになる。
- 人間が機械ではなく、生きているというのは、対立するかのように見える厳しさと優しさを、いかにして自分という存在のなかで両立させていくかという努力を続けることである。
- 平和愛好者になるためには、子供のときに殺したり殺されたりの遊びをしたり、虫を殺したりするようなことが必要である。
- 子供の身体を生かしつつなされる教育として、スポーツ教育がある。スポーツのいいところは、自分の持つ攻撃性をルールによって守られながら出せることである。しかも、それをフルに出そうとすると、相当な練習が必要になってきて、単なる暴発では効果がないことがわかってくる。そこで、自分の攻撃性をコントロールすることも自然に学ぶことが出来る。
- 金持ちは自分の身体を使わないようにする。つまり身体性と切れていくのだ。
- ルールを破ってはいけないという風に、我々はすぐに言うことはない。まず、その子がルールを破ってでも勝とうとする意欲を出してきたのをよしとする。と言っても、ルール破りをそのまま肯定するわけではない。まず大切なことは、そのルールの破り方がどのようなのかを見て、それについて意味を考えることが必要である。
- 大人がもう少し悪と辛抱強く付き合うことによって、子供ともっとイキイキして豊かな人生を共に味わうことができるのではなかろうか。