「だから、僕は学校へ行く!」

だから、僕は学校へ行く!

だから、僕は学校へ行く!


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(以下、本文)



「たしかに学歴社会なんて、私も意味がないと思う。でもね、学歴のない人がそんなことを言ったって、誰も耳を貸してくれないのよ。もし、あなたが本当に学歴なんて関係ないと思うなら、あなた自身が学歴を身につけた上で、そのことを主張しなさい。そうやって初めて説得力が生まれるんだから」



先生が「地域の人たちにも、きちんとご挨拶しましょう」と注意をすると、子供たちは困ったような顔でこう言うのだそうだ。「だって、知らないおじさん、おばさんとはやたらに口を聞いちゃいけないんでしょ?」



「よのなか科」の創設で有名となったリクルート出身の民間人校長、杉並区和田中学校の藤原和博氏は、学力を「情報処理力」と「情報編集力」の2つに分けて考えるべきだと主張する。



暗いより、明るいがいいなどと、いったい誰が決めたのか。(中略)世間は「ひっそりと咲く月見草」よりも「明るいヒマワリ」を好んだ。打者の耳元で何事かをささやき、心理的動揺を誘う野村よりも、ヘルメットが脱げるほど豪快なスイングを見せ、となりのポジションに飛んだ打球にまで飛びついてキャッチしてしまう長嶋を好んだのだ。公教育で「明るいこと」を絶対的な価値観として押し付けてしまうことに、僕は少なからず抵抗を覚える。すべての子供が「明るい子」を目指さなければいけないのなら、プロ野球界であれほどの実績を残した野村克也も、教育的観点から見れば「失敗作」ということになってしまう。