「敗因と」

この本を読んで改めて、フランスW杯・韓国日本W杯・ドイツW杯の約12年間(実際は10年程度)、日本のサッカーを盛り上げたのは中田英寿の功績であったし、ドイツであのような結果に終わったのも彼という存在の帰結であったように思った。


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(以下、本文)



中田英寿代理人を8年間努めたジョバンニ・ブランキーも、孤立しがちな性格だけは短所だと思っていた。「ヒデはどこのチームでも常に関係者やファンに愛されていました。なぜなら、我侭を言うことはないし、ルールはきちっと守るし、練習には一番に姿を見せる。そういった姿が周囲から高い評価を受けていました。ただ、そういう仕事の世界では素晴らしいのですが、そこから離れるとどうしても彼は閉鎖的になってしまう。ヒデはセリエA時代にチーム内では同僚といい関係を保っていたのですが、仕事から離れると自分の殻にこもってしまっていた。みんなと一緒にいるのを好まない性格でした。練習でも移動でも合宿でもみんなとうまく付き合うのですが、グランドを離れると彼には自分の人生があって、その人生と現場をあまりミックスさせないところがありました。この考え方は、ヨーロッパではちょっと理解しがたいところがあります。ヨーロッパではすべてをひっくるめて、友達づきあいをする。イタリアでは、そのことが悪く報道されてしまうこともありました。仕事とプライベートを完全に分けていたことを、よく思っていない人もいたんです。」



小島には、忘れられないエピソードがある。「あいつがベルマーレに入団してすぐの頃だったかなあ。居残りでシュート練習をやってたことがあったんですよ」。コーチからパスをもらう。すぐにシュートを打つ。言ってみれば高校生でもやっているような練習だった。やはり居残り練習をしていた小島は、反対側のゴールからシュート練習の様子を眺めていた。「これがね、全然入らないんだなあ。ペナルティエリアに入るか入らないかの位置でシュートを打ってるんだけど、ちっとも枠に飛んでいかない。へったくそだなあって思いながら見てましたよ」。あきれてしまったのは彼だけではなかった。小島の耳に、居残り練習に付き合っていたコーチの怒声がとどく。「そしたらね、あいつが言い返しているわけですよ。いやこんなシュートをゴールに入れるのは簡単だ。だけど、試合中はゴールキーパーがいるんだから、それを考えたらポストの内側20センチじゃなかったら決まるわけがないじゃないかって」