河合隼雄「カウンセリングを考える」


カウンセリングを考える〈上〉

カウンセリングを考える〈上〉


河合隼雄さんの公開講座が本になっている。同様のシリーズとして「カウンセリング入門」「カウンセリング講座」がある。


最近は、河合隼雄さんの本ばかり読んでしまう。


受験生活は「100%自由だけど100%責任は自分」「結果を出さなきゃ、何年したって自分の価値はゼロ」という完全な競争社会である。これは「何の組織にも属さず、完全に個人ベース。協調性はむしろ悪」という意味で、かなり個人主義的な世界観に近い。また。ある意味「何らかの答えが必ずある」という西欧近代科学的な世界観に近いとも言える(どちらかと言えばね)。普通のサラリーマンの方よりも、少しだけその傾向は強い。


まあ、なんやかんや。その反動で河合隼雄さんを読んでいるのかなとも思う。彼は「答えなんてない。解決法なんてない」という人の心を扱う仕事である。また、個人主義の違いなどについて明らかにしてくれる。読んでるとかなりホッとする自分がいるんです。


カウンセリングを考える〈下〉

カウンセリングを考える〈下〉


これまでやったことのない新しいことを始めるとき、僕はまず「フレーム(枠)」を見つけることから始めることを意識しています。「フレーム(枠)」というのは、すなわち「考え方の枠」です。


例えば、僕がこれまで経験したことがない「営業」が仕事になったとしたら、まず大きい本屋を何件か回って、「営業」に関する棚の本の目次を全部見ていく。そして重要と思える本を山ほど買い込んで、その中で多く共通する部分や、実践可能な範囲で自分に合っている部分をピックアップする。そしてそれを「フレーム」として紙にまとめ、実際の「営業」の時には「フレーム」から外れていないかをチェックしながら、その新しい経験に取り組む。ことにしている。オリジナリティはそれが出来た後の話です。


皆さん、新しい経験をする時は何かを行動の指針とするだろうけど、僕はまず「本」から入る。というそれだけのことですが。まあこれまで直感でやってきて、多く痛い目には遭いました。


話が飛びました。僕は子供もいないのに、彼女すらいないのに、仕事すらないのに(え?そんな自虐的にならなくても良い?)、「子育て」に関してよく想いを馳せることがあります。ええ。結婚願望は強いほうだと思います。その際に、子育ての「フレーム」ってなんなんかな?とよく思っていて。


大きい本屋に行くと「子育て」に関する本は、それだけで一軒の小規模の本屋が立つくらい出版されているのが分かる。他のジャンルよりも出版量が膨大なので「下手に読み始めたらえらいことになる」という印象があります。その上にパラパラとランダムに見た限りでは、他のジャンルよりも、各作者が好き勝手なことを書いている。一時代前に「母乳は少ないほうがいい」と言っていたのが、今では「間違いだ」と言われていたりするだけに、何が真実かは分かりにくい。目次をさらっていっても、どういう基準で本を選べばよいか、わかりにくい。


今日は、この河合隼雄さんの本を読んでいた。この本には、たくさんの問題ある子供のカウンセリングや、問題の原因が描かれている。よく考えれば、河合さんはこの種の本がたくさんある。「子育て」に関するメイン・フレームは河合隼雄さんでいいのではないかな。子供が生まれたら、改めて彼の本を読み込んでいこうかな。と思いました。ええ。ただそれだけのことなんですが。。。すみません長々と。


子育てに関しては。


?小さいときは、とにかく甘えさせてあげる。お母さんとの一体感が自立の基礎となる。私というものが何かによって支えられていると感じない限り、極めて不安になってくる。その支えがない限り、人間は孤独に耐えることができない。極めて限定された「私」という存在が、何らかの永続性を持ったものと関連付けられないと、どうも安心して生きられない。「私」を支えるものとして何らかの「私を超える存在」を必要とすることは、おそらく人類に共通に認められることと考えられる。


?子供には、衝突をおびえず、外見なりふりかまわず、気持ちでぶつかる。


?「聞く技術」を適用する。 


?男性と女性は、本当にお互いに理解できないから、わからないから、辛抱をして一緒に生きていく。「一人の男と一人の女が愛し合ったから幸福になる」なんて、そんな馬鹿なことはない。


?親に対しても「ありがとう」ときちんと言わせる。こちらも言う。


?最も悪いのは、子供と心がつながっていない分をお金でつなごうとすること。(私の幼少時代)


?豊かになって、「辛抱する」「待つ」「分ける」練習ができにくくなっている。