「エクセレント・カンパニー」
我々は、高度に発達した資本主義に生きている。
ある意味で、合理性を追求せねばならない。
中東を旅していたとき、
シリアで出会った人々はそうではなかった。
でっかいバーに飛び込んで、日本人が作法も知らずチキンをガムシャラに食べていても、
僕らを拒否する空気はそこにはなかった。
イスラエル人街を歩くと、
マシンガンを抱えたイスラエル人の兵士とすれ違う。
けれど、一つ壁を隔てたアラブの人たちの地域に入ると、
貧しかったけれど、そこには何となく「人間らしい」暖かさがあった。
道を聞いても話しは弾む。突然やってきたアジア人を許容する空気があった。
しかし、イスラエル人は拒否する。拒否することは合理的であることが多い。
僕らは、合理性と、そうじゃない部分で揺れている。
当たり前だが、お金も大切で、気持ちも大切だ。
僕の中にある難しい心は
「お金はあるに越したことはない」と思う気持ち。
「お金はここまででいいや」と思えない心。
合理主義たるアメリカ人が、こう語ったのは面白い。
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数値的、分析的やり方は、本来保守的傾向を持つ。
合理主義は、内部競争を許容しない。
合理主義は、価値観の重要性を見下げる。
合理主義は、実験精神を評価せず、誤りを犯すことを極端に恐れる。
狭義の合理主義は、否定的になることが多い。
分析的方法のみの追求は、人間味のない抽象的な考え方に行きつく。
反実験主義は、必然的に過度の複雑性と柔軟性の欠如をもたらす。
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