従来の世界とは全く異なった世界がいま私たちの眼前に登場しつつある
そして戦後50年も、ある意味で情報は、限られた人間が支配していた。
それは日本だけに限らず、海外もそうだ。あらゆる過去の文明において。
時の統治者や、昨今では国家・企業・マスコミの人間が大規模に情報を発信し、
僕たちはただ、情報を受け取るのみ。
もちろん、自分に距離が近い人間には情報を発信できたけれど。
結局、その距離は限られていたし、手段も限られていた。
でも、皆さんご存知の通り、今は違う。小規模ではあっても、
世界に向かって個人でも情報を発信しようと思えばできなくもないし、
すでに文字通信に関しては距離という制限が存在しない。
これまではいくら日本が民主主義だと言ったって、情報に関しては統治国家だったが、
これからはもっともっと情報の民主化(個人レベルにも情報発信が可能になる)が進むだろうと思う。
僕は個人的に相対的に、マスコミの力が失われてくるのではないか、と考えている。山口県にいるS君とよく話すが、これまでのマスコミの枠組みはおそらく崩壊するだろうと思う。
ドラッカーは指摘する。
「言語の壁さえ乗り越えることができれば、世界中のあらゆる情報を瞬時に手に入れることができる」
ドラッカーが言うように、日本の高度成長期は日本が情報鎖国であったために生じたものであると思う。
これまで武器であった情報鎖国という状況が、次のグローバリゼーションという時代においては、デメリットとなる。
情報をドラッカーは
「知識は今日唯一の価値ある資源である」と言っている。
原始時代から人類は、限られた食料を求めて、流浪し戦った。その時代は食料が価値だった。
イギリスの産業革命以降は、限られたモノを求めて、人類は戦った。その時代はモノづくりに価値があった。
現在、価値があるのは、情報であり、知識である。
「あるバイオ技術を持っている人」と「そのバイオ技術を買いたい」と思っている人。という情報を持っていれば、例えばそれだけで商売はできる。もちろん、そこには英語の契約書を作成したり、
そういう状況では、英語というグローバルな言語を扱えない我々、日本人の多くは、急速に国力を陳腐化させてしまう恐れはあるだろうと思う。英語にアクセスできる、できないということが、つまらないけれど、個人の収入を大きく左右するかもしれない。
「従来の世界とは全く異なった世界がいま私たちの眼前に登場しつつある。今後30年続くこの転換期は非常に困難で苦しい時期となるだろう」
もしかしたら、文明が融合するという過程の中で、戦争が再び始まるかもしれない。という悲観的な想いはあります。それは日本が位置する、このアジアでもそうかもしれない。もちろん起こってほしくないとは思っていますが。人間というのは、思っているよりも数倍、愚かであるという想いの方が強いですから。